すずりの闘病日記

鬱病メンヘラが元気になるまで

春の訪れ

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夜が明けゆく空の下、寝静まる街を抜けて外へと足を踏み出すと、桜の花が密やかに満開を迎えていた。

春霞の中でひっそりと咲き誇る花々は、曇りがちな天のもとで、その白さがかえって空の哀愁を際立たせている。

さらに歩を進めると、人気のない公園に辿り着いた。曜日のせいか早朝のせいか、子どもたちの賑わいはどこにもなく、妖しげな静寂が周囲を支配していた。

そんな重苦しい空気に包まれながらも足元だけを見て歩いていると、突然、一陣の風が通り過ぎ、耳に何かを囁くような音がした。上を向けば、見落としそうな枯枝の先には、命の息吹を感じさせる若葉が静かに生まれている。その瑞々しい緑が灰色の空を突き抜け、ふとした瞬間に希望の色を鮮やかに映し出していた。

━━冬を乗り越えた木々が春の息吹を取り戻す。何度も目にしたはずの至極当たり前な営みを目の当たりにし、改めて歩を進めると、心なしか視線も自然と上向きになり、空へと向けられていた。

また少し歩くと、正面から全裸の中年男性が向かってくるのを認めた。焼けた肌に茶髪のセミロング、筋肉質な上半身に不釣り合いな枯枝のような下半身。怒張いた陰茎の根元には銀色が輝き、胸の突起は負けじと肥大し水平を向いている。私はこの特徴に合致する男を一人、知っている。

「拓也さん……?」

すれ違いざまに、言葉が自ずと唇を離れた。

「オマエ オレ タクヤ ミエルカ?」

その言葉に、改めて男の身体をよく観察する。言われてみれば確かに、男の顔は乾燥途中の干し柿のようではなく、十全に水分を湛えて見えるし、筋肉質な上半身にも僅かに脂肪が乗ってより健康的な印象を受ける。そして何より━━

「失礼、確かに貴方は拓也さんではないようですね。拓也さんは種付け競パンを穿いていますが、貴方は全裸ですから。」

男の言葉を否定しながらも、力づくで口角を上げ、敵意が無いことをアピールすると、それが伝わったのか、

「ソウカ ナルホド ワカッタ……」

男は何らの危害を加えることもなく、ブツブツ呟きながら、私が歩いてきた方向に消えていった。

これは後から知った話だが、私の街では嘗て拓也さんが目撃されており、迂闊にもその激エロフェロモンに曝露して“感化”されてしまった男たちがいるらしい。

その十二人の男たちは異常者へとなれ果て、様々なアプローチで“拓也”へ到達しようとしているのだとか。

今日遭遇した男は通称を『ボディビルのペトロ』と云い、拓也さんの本質は特徴的な見た目にあるとして、日々己の肉体を“拓也”へと進めているようだ。

私の言葉は、彼の一歩を後押しできたのだろうか。

私の街には、拓也が棲んでいる。